聖書の教えが人を磨く
聖書ほど、これほど多くの言語に翻訳され、多く出版された本はありません。
二千年あるいはそれ以上前に記されていながら、今なお世界の数十億の人々に希望と愛を教え、また同時に論議を巻き起こしている書が他にあるでしょうか。
ただ同様に、はるか昔に記され、今も古典として高く評価され読み継がれている書物も少なくありません。
では、聖書とその他の書物との違いはいったい何なのでしょうか。
その最も異なる点は、聖書は神の霊感によって書かれたものだということです。人間の才能や知識、経験からまとめられたものとは、そもそも次元が違うのです。
聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。(Ⅱテモテ3・16)
これは、川を流れる石に例えられます。
神の教えという川を流れる石は、上流ではまだゴツゴツとしていびつです。なかなかスムーズに流れにのることはできず、時折脇にそれてしまうこともあります。
すると、神がコツンと石に働きかけ(戒め)、もとの豊かな流れにひき戻してくれます(矯正)。そうして、いびつな石は徐々に流れに乗り、あちこちにぶつかり(義の訓練)ながら、角がとれ、丸みを帯びたなめらかな姿(整えられた者)へと変えられていくのです。
誰でも、川下の小石を手にしたことがあるでしょう。すべすべした何とも優しい小石は、かわいいとさえ思えてくるものです。
聖書から真に教えを得たいと思ったら、まず「神の霊感」によって書かれたという事実を受け入れることからはじめましょう。
語られる教えがむずかしいこともあります。その教えからそれてしまうこともあります。
でもすぐにあきらめないでください。神自身がその教えにひき戻してくれます。
時間がかかるのは当然です。その過程で、一人ひとりのこころが磨かれ、徐々に整えられていくのです。
鈴木陽一






































