私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。(Ⅱコリント1・3)
「慈愛」という言葉を新約聖書の原語であるギリシャ語で見ると、オイクティルモスという言葉が使われています。
この言葉には哀れみ(同情)、思いやりなどの意味があります。
同じようにみると、「慰め」には、パラクレーシスという言葉が使われていて、強めること、支えることなどの意味があります。
つまり神は同情と思いやりに富んでいて、倒れそうになっている者を下から支えてくれる、ということです。
主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。(ヘブル2・18)
私たちは自分と同じ苦しみや大変なところを通っている人の気持ちがわかりますし、その人に対して思いやりの心を持つことができます。
神であるイエス・キリストは、人間たちを救うため、私達と同じような人間として約2000年前に聖霊によって生まれ、地上での生涯を歩まれ、十字架で人間たちの罪の身代わりとして死んでくれました。
あらゆる苦しみを味わってくれたキリストは、私たちが体験する試練や苦難を超えた体験をしました。味わわなかった試練は何一つないのです。
父なる神とイエス・キリストとはまったく一つです。
ということは、キリストの苦しみは神の苦しみ、神も同様に自らが体験され、知っておられるということです。
ですから神は私たちの大変さや苦労などが痛いほどわかり、心から同情することができます。
そのような慈愛の神に助けを求める時、様々な方法を通して神は私たちを元気付けてくれるのです。
BY JOY






































