聖書の中で一番取っ付きやすい書として知られるヨハネの福音書は、
初めに、ことばがあった。
ことばは神とともにあった。
ことばは神であった。
という一見単純そうで、実際よく分からない3行によってスタートします。
一行にまとめると、
はじめから、(ことば=神) は存在した
となります。
「ことば」とはなんでしょうか。
「ことば」はすべてです。
私は今、「ことば」をタイプしています。
あなたはこれから何をするでしょうか。
「ことば」を発します。
「ことば」を聞きます。
「ことば」を読み、書き、
「ことば」を通してすべてのことを行います。
「ことば」はすべてです。
「ことば」はこの世界を回しているものです。
私たちは、「ことば」無しに満足のいくコミュニケーションがとれません。
神様は、全知全能の方ですから、「ことば」を用いなくても完璧に理解し、判断し、物事を進めることができます。
でも私たちに「ことば」が絶対必要であるとを知っていたから、彼はいつもこの「ことば」を用いて人間とコミュニケーションをとってこられました。
「光よ、あれ。」と「ことば」を用いてこの宇宙を造られた神は、ことばを持って天地万物を創造されました。
創世記12章に入ると、「ことば」を使ってアブラハムを導かれ、その後もずっと「ことば」を通して人類を導かれました。
そして彼の人類への最大級のアプローチ。
それが、「ことば」であるイエスキリストを世に送ること。
「ことば」は神と私たちをつなぐものです。
そしてイエスキリストは、神と私たちを繋ぐ仲介者。
ことばであるイエスキリストを通してのみ、
私たちは神を知り、彼のみこころを歩むことができるのですね。
いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を解き明かされたのである。(ヨハネ1・18)
松本務






































