初めに、神が天と地を創造した。(創世記1・1)
神が初めに行った創造の物語から、聖書ははじまります。
やみが地を覆い、空虚でどんよりとした中に光が造られ、海や植物やあらゆる生き物が、神の手によって造られていきました。
その中で、人が最後に造られました。
神は、人を男と女とに創造しました。最初に造られた人、それがアダムとエバです。
聖書に書かれたアダムとエバの物語を読む時、そこに男と女への神が示す原則を読み取ることができます。
神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」...神である主は、人から取ったあばら骨をひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られた。(創世記2・18, 22)
ここから、男と女に対する聖書的な3つの原則が明らかになります。
①神が必要を感じる
まず神自身がアダムにその必要を感じ、女を造りました。一人ひとりに何が最も必要なのか、自分自身よりも、まず神がそれを感じ取ってくれます。
②ふさわしい助け手
神はアダムの必要を満たす、彼にとって「ふさわしい助け手」を与えました。神が感じた一人ひとりの必要を満たす、最もふさわしい相手を、神は与えようとしています。
③神が連れて来られる
エバは、アダムが必死に探し求めて見つけた相手だったのではなく、神がアダムの前に連れて来た女でした。
まず神が必要を感じ、その私たちの必要を満たすもっともふさわしい助け手を、神が連れてきてくれる。
これが、聖書が教える男女の出会いや結婚の一つの大きな原則です。
この聖書的原則の反対をいってしまうと、「自分で感じた必要(容姿・学歴・収入・性格...etc)に、ふさわしいと思われる相手を、自ら探し求める」ということになってしまいます。
運よく見つかれば良いですが、見つからないと探すのも疲れてしまいそうです。
自分の必要にあったふさわしい助け手を神が連れて来てくれる。この原則を確信して、熱心に求めましょう。
それゆえ男はその父母から離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。(創世記2・24)
鈴木陽一






































