よくホテルなどに宿泊したりすると部屋に聖書が置いてあったりします。そのような聖書は、新約聖書が多いようです。
新約聖書は、いきなり系図から始まります。
聖書はどのような書物だろうかと思い、読み始めたら、訳のわからないカタカナがダラダラと並んでいて、つまらない思いをした人が、もしかしたら、いるかもしれません。
もしこれが、小説だったら、出だしはとても人の興味を引くようなものとは言えないと思います。
では、なぜ新約聖書は最初にこのような系図から始まるのでしょうか?
この系図にはどのような意味があるのでしょうか?
新約聖書はこのように始まります
アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。(マタイ 1・1)
この系図はイエス・キリストの系図であることがわかります。
系図があるということは、イエスキリストは実在の人物だったということです。
イエス・キリストの存在は伝説でも作り話でもないのです。実際にこの地に足跡を残したのです。
ユダヤ人は系図をとても大切にしました。
その人がどの親からの生まれなのか、どのような背景を持った人なのかは、彼らにとってはとても重要なことだったのです。
イエス・キリストはアブラハムの子孫であり、ダビデの子孫であると記してあります。
アブラハムについて、聖書はこのように記してあります
あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。創世記 (12・3)
またダビデについては
あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。 (Ⅱサムエル 7・12~13)
神はアブラハムを通して、またアブラハムの子孫を通して、人類を祝福すると約束されました。
そして、ダビデの子孫から生まれた者の王国は永遠に立つといわれたのです。
つまりイエスキリストの誕生は偶然ではなく、アブラハムとダビデの子孫から人類に祝福をもたらすという神の預言の成就であるということです。
聖書の神は行き当たりばったりの神ではないのです。
イエスキリストを通して人類を祝福するというしっかりとした計画をもっておられ、神が語られた約束のことばは必ず成就するのです。
そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。 (イザヤ 55・11)






































