旧約聖書の人物でもっとも重要な一人がアブラハムです。「イスラエルの父」とも呼ばれ、彼の生涯は、聖書の最初の書「創世記」の大きな部分を占めています。
ある日、アブラハムは数人のお客をもてなします(創世記18・2)。突然訪れた客を暖かくもてなし、焼きたてのパンや特上の肉、クリームやミルクなどをご馳走します。そして自分も、木陰でのランチに加わるのです(18・8)。
と、客の1人が「あなたの妻サラに、息子が生まれますよ」と言いました。
信じがたいことでした。サラはすでに年老いていたので、これを聞いて笑いました。
しかし奇跡が起こり、1年後にサラはイサクを産み、この息子がアブラハムの子孫=イスラエル民族を存続させることになるのです。
聖書のこの箇所を読むたび、いくつかのことを考えます。
1つめは、客をもてなすというのはいいことで、その人たちから何か見返りをもらえるかどうかは関係ないということです。
アブラハムは客に何も期待しないで心からもてなし、そして神からの特別なメッセージを受け取りました。
ふたつめは、誰かが将来の計画や考えを話してくれたときに、気軽に笑い飛ばさないということです。
私たちの目に不可能に思えても、私たちの理解を超えたことがたくさんあります。
神のご計画については特にそうでしょう。
私も同じ立場だったら、きっとサラと同じような態度をとったと思うので、彼女を責められません。
神の計画がなったとき、私たちは本当は驚くべきではないのでしょうが、やはり驚いてしまいます。
最後に思うのは、神がご自分のひとり子イエスをおくり、この世を救ってくださった事実です。この世を救うとは、全く不可能なことに思えませんか?
このことを考えると私は、自分の想像を超えた神のご計画を決して笑うまいと、決心を新たにします。
ジェフ・ディーン






































