イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
(ヨハネの福音書14・6)
聖書では、イエス・キリストを通してはじめて、父である神のもとへ行くことができると言っています。
イエス・キリストを通して、私たちはいま神に願い、求めることができます。その神と人とのコミュニケーションが、祈りです。
イエス・キリストとともに歩む人は、このイエス・キリストの名によって祈ることができます。この素晴らしい名が、祈りに強力な力を与えます。
あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。 (ヨハネの福音書16・24)
祈る気持ちは、どんな文化・時代にも共通する潜在的欲求として神から与えられたものです。
それを、私たちはただ祈るだけでなく、神のもとへと通じているイエス・キリストの名によって祈ることが特権として与えられています。
そして、求めれば与えられると、聖書は約束しています。
祈りの応えとして与えられるものは、私たちが祈った通りのものであることもあれば、時に人智を超えた大いなる神の働きであったり、また私たちの願いをはるかに超えた豊かな恵みが示されることもあります。
しかし同時に、次のようなことがある場合は、求めた祈りが叶えられないこともあると聖書は教えています。
1.神から見て、その願いが私たちに良くない結果をもたらすこと
2.まだ叶えられるべきではないタイミング
3.自分自身の快楽や欲望など悪い動機からの祈り
4.自分の祈りを神は応えてくれないのではないかという疑いの心
父である神は、神の子どもである私たちに「良いもの」を与えたいと
思っています。
神は良いものを与えてくれるという確信をいつも持ちながら、堂々とイエス・キリストの名によって求めていきましょう。
何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。(ヨハネの手紙 第一5・14-15)
国際ナビゲーター
鈴木陽一














