「信仰」と「行い」を考えたとき、聖書では、まずは何より信仰が大切であると記しています。
あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。 (エペソ2・8-9)
行いではなく、恵みの土台の上に立つ信仰によって救われるとあります。
どんな良い行いをしたとか、偉業を達成したとかいうことは、救われる(神のもとで永遠のいのちが与えられる)ことには関係がないと言っています。
しかし一方で、面白いことに、良い行いをすることの大切さもまた、聖書のあちこちで語られているのです。
私たちは、良い行いをするために造られた、とあります。良い行いをするということが、私たちの一つの大きな存在理由だということを示してくれています。
私たちが良い行いをしていくときに起きること、それは、私たちが人々にとって有益な存在になっていくということです。
それは、神を信じている人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。これらのことは良いことであって、人々に有益なことです。 (テトス3・8)
人々に有益な人は、多くの人から好かれ、周囲に人が集まってきます。会社や組織の中でも、有益な人材は重宝されていきます。
同時に、良い行いをすると、神それに報いてくれるとあります。
神は、ひとりひとりに、その人の行いに従って報いをお与えになります。(ローマ2・6)
神の報いは、この肉体が生きている間に報われることもあれば、肉体が滅びた後の報いであるかもしれません。どんな報いを受けることができるのか、楽しみなことでもあります。
イエス・キリストは、敵の迫害がいよいよ迫る中、弟子たちに大切な戒めを与えました。それは「互いに愛し合いなさい」という戒めでした。
愛の表現、そしてその愛の行動の発露にはいろいろなものがありますが、聖書はこう勧めています。
子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。 (Ⅰヨハネ3・18)
この「良い行い」が、イエス・キリストの最も偉大な戒めの一つである互いへの愛を、具現化するのです。
国際ナビゲーター
鈴木陽一














