長く会わなかった人に久しぶりに会った経験はありますか。
そんなとき、打ち解けるのが難しいことがあります。互いに会いたいと思っていても簡単なことではありません。
私はマレーシアにペンフレンドがいました(Emailの前の時代です)。
彼女とは手紙のやり取りだけで会ったことはなかったのですが、ある時マレーシアに行く機会ができて、ボルネオ島のサラワクのクチンに立ち寄りました。
5日間滞在してなんとか彼女に会おうとしました。
私が持っていたのは彼女が働いているという農場研究所の住所でしたが、どんなところなのか見当もつきません。
いろんな人に聞いてまわり、バスで3時間いったボルネオのジャングルの中にあることがわかりました。
バスに乗ったものの、バス停がわからずジャングルの中で迷子になってしまうのではないかと不安になりました。
言葉は全くわかりません。しかし、ついに正しいバス停で降りて研究所を見つけました。
しかし彼女は2年前にそこを辞めていました。
そこの人たちが、彼女は大学にいるはずだと教えてくれたので、また3時間バスに揺られてクチンに戻り、タクシーで大学へ行きました。
しかし、いったいどうやって彼女を見つければいいのでしょう。
タクシーを降りて最初にあった女性に、彼女の名前を言ってみました。
「この女性をご存知ですか」「ええ、知っていますけど」「本当ですか!」「ええ、私がその人よ」
ついに彼女に会えたのです。
ところが彼女はあまり嬉しそうではありません。やることがたくさんあって忙しかったのです。
「来週、来てくれないかしら?」「来週には帰らなくちゃいけないんだ」「そう、残念だわ」それでお終い。
私たちが誰かを「たずね求め」ても、その人は、見つかることを願っていないことがあります。
しかし、うれしいことに、神は見つけてほしいと願っています。
あなたに代わって、私の心は申します。
「わたしの顔を、慕い求めよ」と。
主よ。あなたの御顔を私は慕い求めます。(詩篇27・8)
あなたや私が神をたずね求める前に、神がそれを望んでおられ、「尋ね求めよ」と語っておられるのです。
あなたが神を探し求めているなら、探そうとを考えたりしているなら、神はずっと前からあなたを待っておられます。
あなたが神を捜し求めていないとしても、待っておられます。
探されたい、見つけられたいと願っておられるのです。
隠れておられません。あなたと顔と顔を合わせて出合うとき、神はどんなに喜ばれることでしょう。
ジェフ・ディーン














