先日、Evan Almighty(エバン・オールマイティ) という映画を観ました。
別に特記する必要もない普通のコメディなのですが、その中の登場人物の一言が忘れられません。
それは、「旦那の気が変だ」と夫を離れ、家を出た女性に対して神様役を演じる男の人が言った言葉です:
Let me ask you something.
If someone prays for patience, do you think God gives them patience?
Or does he give them the opportunity to be patient?
If they pray for courage, does God give them courage, or does he give them opportunities to be courageous?
If someone prayed for their family to be closer, you think God zaps them with warm, fuzzy feelings?
Or does he give them opportunities to love each other?
耐え忍ぶ心を下さいと祈るとき、神はどのようにその祈りに答えられるのだろうか。
耐え忍ぶ心を与えられると思う? それとも耐え忍ぶ心を育む機会をくれるだろうか。
勇敢な心を下さいと人が祈るとき、神は勇敢な心をすぐに与えられるだろうか、それとも勇敢な心を持つための機会を与えられるだろうか。
もしだれかが、家族の中が深まるように祈るとき、神様は家族をあいまいになんとなく引き寄せ合うだろうか?
それとも、家族が愛し合わなければやっていけないような機会を与えるだろうか。
なんだか衝撃的でした。
神様に「信仰」を下さいと祈る時、もしかしたら神様は目に見えない形で答えないことによって、わたしたちの信仰を育むチャンスをくれていて、
「愛する心」を下さいっていう祈りには、身近に愛することが難しい人を置く事によって、わたしたちに愛する心を伸ばす機械を与えてくれているのかもしれませんね。
そう考えてみると、祈る私たちにも責任があります。
中途半端な祈りはできないです。
本当に願うことを祈り、そのことが叶うためには厳しい状態をも覚悟する。
ありきたりな定形的祈りで済ませず、内容にしっかり注意を払って、いつでも本気な祈りを神様に捧げたいです。
松本務














