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「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」
ヨハネ8:32

どこの宗派にも属さず、宗教という形式ではなく、自由でのびのびとした視点で解説しています。
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聖書が語る正しさ
2010年7月21日

 聖書が私たちに与えている大きな約束は、私たちが神のもとで永遠のいのちが与えられるということです。

 永遠のいのちという大きな希望です。その約束を私たち一人ひとりが手にするために、神から求められているもの、それは、私たちが「正しい」者になるということです。

 その正しさとは、「神の前に正しいこと」という意で用いられ、そのことを表す語として「義」という言葉が使われます。何によって人の正しさをはかるのか。

 その判断は神にある、というのが、聖書が私たちに示す大きな前提です。聖書の中には「義」について書かれた箇所が多くあり、それが聖書のメッセージの根幹を成すカギであるとも言えます。

 聖書の中で最初に、義ということばが登場するのは、こんな一文です。

 彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。 (創世記15:6)

 
「彼」とは、アブラハムという人のことで、この直前には、神がアブラハムに対して子孫を星の数ほどに増やし、祝福するというメッセージを送っています。

 アブラハムはそれを信じ、神は、その彼の信仰を「義」と認めました。彼の正しさは、彼が信じたことによって認められたのです。

 また、それから1000年以上も後に書かれた聖書の箇所では、同じくこう言われています。

 人が義と認められるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。 (ローマ3:28)

 
ここでも、信仰によって義と認められる、とあります。

 聖書が私たちに伝えているのは、私たちが正しい存在になるために、神を信じる信仰が必要だということです。

 私たち人間は、自分自身の力だけでは正しい者になるこができません。「正しいかどうか」は神が判断することです。

 私たちは、自分が正しい者であるかどうか、神に判断され、受身的に、正しいと「認められる」存在なのです。

 主体的に追い求めるというより、むしろ受身的な印象を受けます。正しい者になるために私たちがすべきことは、ただ信じる者になるということです。

 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。 (ヘブル11:6)

国際ナビゲーター

鈴木陽一