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ローマ1章のメッセージ
2010年8月 9日

私は福音を恥とは思いません。

福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、

信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。

なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、

その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。

「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。

(ローマ書1章16、17節)


 力強い、有名な箇所です。

 読むたびに心震えます。

 これは、この後に続く手紙全体のメッセージの概念が集約された言葉です。

 この箇所に出てくる、福音、神の力、救い、すべての人、信じる、義というキーワードがそのままこのローマ書全体を貫くテーマだからです。

 パウロは何故最初に、「私は福音を恥とは思いません」と言ったのでしょうか。

 なぜ、「私は福音を誇りに思います!」と肯定的に言わなかったのでしょうか。

 それは、福音を恥とする空気があったからです。

 日常生活の中で福音を恥としてしまいたい誘惑があるからです。

 他の人達との価値観とは違うし、マイノリティーだからバカにされるかもしれない。

 できれば黙っていたい。隠しておきたい。

 だから、あえて彼は声を大にして言ったのです。「わたしは福音を恥とはしない!」、と。

 パウロが福音を恥としない理由が3つあります。


1. 福音はすべての人のものだから

「ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも...」

 ローマ書は、ローマに住むクリスチャンに向けて書かれた手紙です。

 そこには大多数の異邦人が占めていて、ユダヤ人は少数派でした。

 異邦人は「福音は自分たちのものだ」って思っていましたし、

 ユダヤ人はユダヤ人で選民意識があり、自分達こそ選ばれしものだと信じていました。

 そこでパウロは、「ユダヤ人をはじめ」ということによって、まずユダヤ人が優先的なんだと語って異邦人をへりくだらせ、

 「ギリシヤ人にも」ということで、もはやユダヤ人だけのものではないということを明確にしました。

 ユダヤ人にとってもギリシヤ人にとっても、すべての人にとって福音は完全に神様の恵みによるプレゼント。

 伝統や血筋によって得られるものではないということをはっきりさせたのです。


2. 福音の本質が、「救いを得させる神の力」だから

この福音こそが唯一私たちに救いをもたらすものだとすると、「恥としてる場合じゃない!」というのがパウロの主張。

 私たちは福音によって救われるのです。

 救いは、この福音を信じる信仰によってのみ与えられるのです。


3. 福音の中には「神の義」が現れているから

 神の義は、ギリシャ語で ディカイオスーネ セウー と言います。

 これは日本語に訳してしまうとただ単に「神の義」ですが、原語でみてみると、3通りに読めるんですね。

a. Righteousness of God 神の義なる性質

b. Righteousness from God 神からのプレゼントとして人に与えられる「義」

c. Rightesousness done by God 神の行動によって「罪がない」と認められること


「義人は信仰によって生きる」とありますが、義人とは、神様によって「義である」と認められた人のことです。

それはどういうステータスのことでしょうか。

義である!と認められたというのは、罪を持たない者とされたというわけではなく、

 罪を持っている性質は変わらないのに、神様がその人を見て、「無罪!」と宣言すること

です。

イエスによって救われたことを信じるその信仰によって、その信仰によってのみ、神様は私たちをみて、「無罪だ!」と叫ばれるのです。

無罪だから、天国にいけるのです。

救われるのです。

本当は罪にまみれた汚い自分。

その罪を全部肩代わりして十字架で死んで下さった救い主イエス・キリスト。

その救い主を信じるだけで私たちの罪は救われ、議と認められ、天国にいける。

これが福音です。

パウロが声を荒げて「私は恥としない!!」と言ったこの福音。

私たちも声を大にして、「恥としない!」と叫びたいものです。


松本務