主の前に静まる時間
2010年8月13日
ヘンリーナウエンという人が、「静まりから生まれるもの」という本を書きました。
その中にはこんな一文がありました:
「...キリスト者として生きると言うことは、この世に属さずに、この世に生きるということです。
こうした内なる自由は、独り静まる中で育まれます。イエスは祈るために寂しい所に出て行かれました。
それは、自分の持つ力はすべて与えられたものであること、自分が語る言葉もすべて父からのものであること、
また、自分がする業はすべて、自分ではなく、自分を遣わされた方の働きであることを、更に深く自覚するためでした。...」
私たちは、忙しい社会に生きています。
簡単に自分のアイデンティティを忘れ、この世の価値観に乗せられ、染められて生きていきやすい者です。
でも聖書の神を信じる私たちは、神の民。この世に属さずに、この世に生きる者たちです。
この世の激しい波の中で、それでもその波に飲まれず、逆流して狭い門を進んでいくためには、独り静まり、主なる神と交わる時間を過ごすこと。
これこそが鍵なのだとナウエンは語ります。
自分の人生のハンドルを神様に明け渡すこと。
主の前に静まり、主から力をいただいて、日々の業を成していく。
それが価値ある一日を生きる何よりの原動力なのです。
全知全能の神としっかり時間を過ごしていますか?
自分の考えやアジェンダをいったん横に置き、フル回転する頭のモーターの回転率を下げていってクールダウンさせ、主の語りかけをじっと待つ時。
その時私たちは、心に語りかける主の御声を聞くのです。
主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。(詩編37:7)
松本務






































