もし、だれかから「馬鹿」と言われたら、どう感じるだろうか。
もちろん気に入らないだろう。
上司、先生、夫や妻から馬鹿と呼ばれたことはありますか?
人から馬鹿呼ばわりされるよりも、さらに悪いことがあるとすれば、神から馬鹿と呼ばれることだと思う。
詩篇53篇には、「愚か者は心の中で『神はいない』と言っている。」とある。
これは、神を信じない人たちは馬鹿ものということだろうか。もしそうなら、今日の世界は愚か者で満ち溢れていることになる。
私は、ここはそういう意味ではないと思う。
次の節に、こう書いてあるからだ。「彼らは腐っており、忌まわしい不正を行っている。」言いかえれば、神が自分たちを見ていないかのように、振舞うということだ。
つまり、神を信じないというよりも、神の存在を無視しているという態度である。
誰も教えてくれなかったために神の存在を知らずに生活し、長生きする人もいるだろう。
あなたもそのような1人かもしれない。しかし、その人もあなたも愚か者ではない。
神を知っており、その存在を知りながら、それを無視して生きている人たちがいる。
その人たちこそが愚か者だ。なぜだろうか?
神がその人たちに罰を与えるからだろうか?
そうではない。
自分が、全宇宙の創り主である神から愛されているということを知らず、その愛を受け取ることができないということが、どうしようもなく愚かなのだ。
ふたりの人が雨の日に道で出くわした、ひとりは傘を持っているのに閉じたままだ。
「どうして、傘をささないんだい?」
「穴だらけなんだよ」
「じゃあ、なんでそんなものを持ち歩いているんだい?」
「まさか、雨が降るとは思わなかったんだ」
急な雨にあっても、それはあなたが馬鹿者という意味ではない。
傘を持っているのにささないことが問題なのだ。
同じように、もし人が神を知らないというだけなら愚かではないが、知っているのに無視しているならそれが「愚かさ」だ。
私たちは神から愛されている。
神が存在するということ以上に大切なのは、神があなたを、私を愛しているということだ。
しかし、神を認めていながらそれを無視して生きるとしたら、私たちは馬鹿者以外の何者でもない。
神はこう言っている「目を覚まして賢くなりなさい。遅すぎるということになる前に」
ジェフ・ディーン






































