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wind-designとは
昔から風は神の息と言われてきました。また聖霊(神の霊)は風とも言われています。
聖霊は吹きたいところを吹きます。
WIND DESIGNは風の吹くまま、知恵の宝庫であり、祝福のもとである聖書に書かれている言葉を紹介・配信するサイトです。
全て必要なことは聖書の中に書いてあります。
「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」
ヨハネ8:32

どこの宗派にも属さず、宗教という形式ではなく、自由でのびのびとした視点で解説しています。
どうぞ、配信登録されて、祝福を受け取ってください。
(ものみの塔・モルモン教・統一原理とは無関係です)
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どうして私のことを?
2010年11月24日

 神は偉大で力強い。

 聖書には、神が全宇宙とその中のすべてのものを創造したとある。

 この記述をあなたが信じるか信じないかはわからない。

 しかし、今、ちょっとだけそのことを信じてみてほしい。

 そこにひとつ重要な問題がある、と思う。
 
 私はただの人間だ。

 聖書は「人は地のちりに過ぎない」(詩編103:14)といっている。

 人の命は「草」や「花」のようで、成長しても次の瞬間にはすぐに絶えてしまう(103:15)。
 
 70年代のアメリカでは「Dust in the Wind(風の中のちり)」という歌が流行った。

 こんな歌詞だ。

 「私たちは皆、風の中のちり」「果てしない海の一滴の水に過ぎない」。

 偉大な神の存在に比べたら、確かにそのとおりだろう。
 
 それなら、なぜ偉大な神、全宇宙の創造主が、「風の中のちり」に過ぎない人間――私を心にかけてくれるのだろう。

 「すぐに枯れてしまう草」のために、貴重な時間を費やすのだろうか。

 この問いに対する聖書の答えは、父がわが子をあわれむように「神は人をあわれまれる」だ。

 生まれたばかりの赤ん坊を思い浮かべてみよう。

 赤ん坊が自分でできることは、泣くこと、うんちをすること、ゲップをすることくらいだ。

 しかし両親は、その子を愛する。

 何かができるからではなく、その子がその子自身であるからというだけの理由で愛する。

 神も私たちに対して、同じ思いを持っている。

 私は確かに「風の中のちり」に過ぎないが、それでも神は私を心にかけ愛してくださる。

 理由はわからないが、神にとって「私」は間違いなくとても大切な存在なのだ。

 そして「あなた」も。


 ジェフ・ディーン