どうして私のことを?
2010年11月24日
神は偉大で力強い。
聖書には、神が全宇宙とその中のすべてのものを創造したとある。
この記述をあなたが信じるか信じないかはわからない。
しかし、今、ちょっとだけそのことを信じてみてほしい。
そこにひとつ重要な問題がある、と思う。
私はただの人間だ。
聖書は「人は地のちりに過ぎない」(詩編103:14)といっている。
人の命は「草」や「花」のようで、成長しても次の瞬間にはすぐに絶えてしまう(103:15)。
70年代のアメリカでは「Dust in the Wind(風の中のちり)」という歌が流行った。
こんな歌詞だ。
「私たちは皆、風の中のちり」「果てしない海の一滴の水に過ぎない」。
偉大な神の存在に比べたら、確かにそのとおりだろう。
それなら、なぜ偉大な神、全宇宙の創造主が、「風の中のちり」に過ぎない人間――私を心にかけてくれるのだろう。
「すぐに枯れてしまう草」のために、貴重な時間を費やすのだろうか。
この問いに対する聖書の答えは、父がわが子をあわれむように「神は人をあわれまれる」だ。
生まれたばかりの赤ん坊を思い浮かべてみよう。
赤ん坊が自分でできることは、泣くこと、うんちをすること、ゲップをすることくらいだ。
しかし両親は、その子を愛する。
何かができるからではなく、その子がその子自身であるからというだけの理由で愛する。
神も私たちに対して、同じ思いを持っている。
私は確かに「風の中のちり」に過ぎないが、それでも神は私を心にかけ愛してくださる。
理由はわからないが、神にとって「私」は間違いなくとても大切な存在なのだ。
そして「あなた」も。
ジェフ・ディーン






































