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昔から風は神の息と言われてきました。また聖霊(神の霊)は風とも言われています。
聖霊は吹きたいところを吹きます。
WIND DESIGNは風の吹くまま、知恵の宝庫であり、祝福のもとである聖書に書かれている言葉を紹介・配信するサイトです。
全て必要なことは聖書の中に書いてあります。
「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」
ヨハネ8:32

どこの宗派にも属さず、宗教という形式ではなく、自由でのびのびとした視点で解説しています。
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(ものみの塔・モルモン教・統一原理とは無関係です)
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イエスはその友のために
2011年2月15日

 久しぶりに歯医者さんにやってきたあなた。

 先生が見ると、歯が透けて中が黒ずんでいます。虫歯です。

 治療がはじまりました。

 キュイーンという音とともに、悪いところがどんどん削られていきます。

 やがてドリルは神経に近づき、突き刺すような痛みがあなたを襲います。

 「あぁ、甘いものをあんなに摂りすぎなければ良かった。」

 「ちゃんと寝る前に毎日歯ブラシするんだった。」

 続く痛みにまぶたをゆがませながら、あなたはこれまでの行いを一生けんめい後悔しています。

 ところで、イエス・キリストは十字架に磔にされて死なれましたが、実は磔にされるだけの罪状はありませんでした。

 当時その地を治めていた総督がこう言っています。

 「私は、あの人には罪を認めません。」(ヨハネ18:38)

 イエスは、死に値する罪を犯さなかったのです。

 無実なのに、罵られ、つばを吐きかけられ、むち打たれ、十字架につけられて息を引き取られました。

 肉体的にも、精神的にも極限まで追い詰められての死です。

 イエスの死何のためだったのでしょうか。

 キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。 (1ペテロ3:18)

 罪のないイエスが死んだのは、私たちを神のそばに導くためでした。

 そのイエスは、私たちを友と呼んでくれました。

 わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。 (ヨハネ15:15)

 友を神のもとに導くために。

 その間にあった大きな隔たりを埋めて、友が神と和解できるように。

 イエスは苦しまれ、そのいのちを差し出しました。

 診察台で、いま歯をドリルで削られているあなたも、同様に苦しみの中にいます。

 とにかく痛い。

 一刻も早く治療が終わることを願うばかりです。

 でもそれは、自分のための苦しみです。

 自分のための治療です。

 イエスの苦しみは、自分のためにではなく、その友のための苦しみでした。

 それは、私たちを神のもとに導くためです。

 それを通して、だれよりも大きな愛を示してくれたのです。

 人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。 (ヨハネ15:13)

 

 国際ナビゲーター

 鈴木陽一