神を信じ、神に信頼して生きるとは、この世の不安や悩み、苦しみや痛みが全くない人生のことではありません。
主イエスを受け入れたが最後、過去と未来のあらゆる困難が過ぎ去り、すべてハッピーハッピーな人生になるかというと、そういうものではありません。
聖書の中に出てくる多くの人物が、神を恐れ神に信頼して生きていましたが、多くの苦しみの中を通らされてきました。
時に落胆し、怒り、愚痴をこぼし、「なぜ、な」と神に理由を尋ね、あるいは悲嘆に暮れる、そんな姿が描かれています。
神を信じ、神に信頼して生きるとは、順風満帆な時はもちろん、そのような困難の中にあっても、神に信頼し、ゆるがない希望を抱いて生きるということです。
聖書は言っています。
恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。(イヤ41:10)
ところで、国や文化を問わず、人は左利きよりも右利きの方が圧倒的多数を占めています。
神も右利きかどうかは分かりませんが、聖書には「右の手」が聖なるもの、私たちを助け、救うものと記している箇所が多くあります。
右利きのボクサーは基本的に左手と左足を前にして構えます。
空手やその他多くの格闘技でもそうです。聞き手を後ろに構えることで、強いパンチを効果的に打つことができます。
左ジャブからの右ストレートは、ボクシングの基本であり王道です。
困難に直面した時、私たちは自分だけの力に頼って切り抜けようとすることがあります。
頼れるのは自分だけ、と自らを鼓舞して努力します。
自分の力で、自分の「右ストレート」で困難を打破しようと試みるのです。
しかし聖書を読むと、神を信じ、神に信頼して生きる人は、自らの「右ストレート」は放てないことになっています。
あなたの神、主であるわたしが、あなたの右の手を堅く握り、「恐れるな。わたしがなたを助ける」と言っているのだから。(イザヤ41:13)
自分の「右」は、神によって堅く握られているために、繰り出せません。
その代わりに、神はその義の右の手で守ってくれるのです。
神は左手で私たちの右手を握り、義の右手で私たちとともに戦ってくれるのです。
なんという恵みでしょうか。
無理に自分で右ストレートを打とうとせずに、神と手をつなぎましょう。
つながっている右の手が、神から離れないようにしっかり握っていましょう。
人の力ではない神の力が、私たちを守ってくれます。神に信頼して生きるとは、そういう生き方です。
主よ。あなたの右の手は力に輝く。主よ。あなたの右の手は敵を打ち砕く。(出エジプト15:6)
国際ナビゲーター
鈴木陽一






































