マタイ4章4節でキリストは言われました:
「「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」と書いてある。」
それでは、この「書いてある」というのはどこに書いてあるのでしょうか。
それは、旧約聖書の申命記8章3節に書いてあります。
それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということをあなたにわからせるためであった。
私たちの肉体を力づけるために私たちが肉的な食べ物を食べるように、私たちの霊を力づけるためには、霊的な食べ物、つまり神の言葉を食べる必要があるのです。
日々、御言葉に浸ることは、時に食べ物を食べるよりも重要です。
このことを踏まえて、ヨハネの福音書6章でのパリサイ人とイエスとのやりとりを見てみたいと思います。
(31−35節)
「わたしたちの先祖は、荒野でマナを食べました。「彼は彼らに天からパンを与えて食べさせた。」と書いてあるとおりです。」
イエスは彼らに言われた。
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。モーセはあなたがたに天からのパンを与えたのではありません。しかし、わたしの父は、あなたがたに天からまことのパンをお与えになります。というのは、神のパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるもの(人)だからです。」
そこで彼らはイエスに言った。
「主よ。いつもそのパンを私たちにお与え下さい。」
イエスは言われた。
「わたしがいのちのパンです・・・。」
ここで、イエスは、ご自分が「いのちのパンだ」と話されました。
キリスト=いのちのパン
いのちのパン=神のことば
神のことば=キリスト
という式が成り立つわけです。
ヨハネの福音書1章1節にはこうあります
初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
キリストこそがいのちのパンであり、
いのちのパンであるキリストこそが神のことばなのです。
聖書の言葉を読むとき、私たちは、キリストを食べているのです。
聖書を読むとき、私たちはキリストを自分のうちに取り込んでいるのです。
聖書はただのよい本ではないのです。
これは、神の言葉なのです。
そして、神のことばとはキリストなのです。
御言葉を読むことによって、私たちはキリストを自分の中に取り込み、そうすることによってキリストに似たものとなっていくのです。
DLムーディーという人は言いました:
This Book will keep me from sin, and sin will keep me from this Book.
この本は私を罪から遠ざけ、罪は私をこの本から遠ざける。
毎日御言葉に浸って生きましょう。






































