聖書には旧約聖書と新約聖書があります。
新訳聖書は旧約聖書より短いですが、クリスチャンが土台とするいわば経典です。
その新約聖書の中でも、わずか16章、節にすると433節、1600文字くらいの文書であるローマ書。読み始めてだいたい40分もあれば最初から最後まで読めてしまうほどのこの本は、この2000年間何度も歴史をひっくり返してきました。
たとえば、1511年。マルチン・ルターは、このローマ書1・17節の「義人は信仰によって生きる」の箇所を読んで、宗教改革に踏み切ったそうです。
彼は、この文書を、「新約聖書中最も重要な書簡であり、すべてのキリスト者によって精読されるべき書」と言いました。
コルリッジは、「今この世に存在する本の中で最も深い意味を持つ文書」と表現しました。
ローマ人への手紙は「福音の鍵」であり、「聖書全体を解く鍵」です。それは、福音の論理的構造を明らかにするのみならず、新しい契約と古い契約との関係について根本的な問いに対して詳しい答えを提示してくれているのです。
そんなローマ書のエッセンスが、第1章16節に凝縮されています:
私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、信じるすべての人にとって救いを得させる神の力です。
福音とは何でしょうか。2−4節に書いてあります:
この福音は、神がその預言者たちを通して、聖書において前から約束されたもので、御子に関することです。御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエスキリストです。
福音とは、イエスキリストです。
パウロは、ローマ書で「自分はこのイエス・キリストを恥としないんだ!」ということを主張し、自分の立場を明確にしました。
ここにパウロの思いが込められています。
マルコの福音書8章38節では、キリストが次のように言っています。
このような姦淫と罪の時代にあって、わたしとわたしのことばを恥じるような者なら、人の子も、父の栄光を帯びて聖なる御使いたちとともに来る時には、そのような人のことを恥じます。
パウロは福音を恥と思わないどころか、誇っているのです。なぜでしょうか。
それは、福音は、救いを得させる神の力だからです。
このパウロの確信とパッションがこのローマ書全体を貫いているのです。
パウロの息遣いに触れられるローマ書、腰を下ろしてちょっとじっくり読んでみませんか。






































