私はよく人と出会ったり、人の行動を見たりすると、「この人はなんでこうしてるんだろう」と考え、自分はどうだろうか、と照らし合わせます。
一つ一つの行動のその奥に隠れる本当の理由、モチベーション、本質が見える瞬間、その本質が本当に輝くほど美しい人がいます。
そしてその行動の裏に見える本質に、薄汚いものが見え隠れする人がいます。
自分でもびっくりするくらい美しい「本質」が原動力となって行動に現れている時があり、そして、びっくりするほど汚い「本質」が自分の行動に見え隠れする時があります。
サルーキ=というバンドは、それを
「心の中にはあるよ、闇と光が。世界の中にもあるよ、闇と光が。いつもその戦いだ。」と歌います。
人の中にあるそういう「本質」とかだけじゃない、目に見えるすべてのものに、闇と光がある。
そして、目に見えないものすべてに闇と光がある。
その闇と光が、いつも本気でぶつかり合って戦っている世界。
闇に目を向ける時、本当にげんなりしてしまいます。
闇が吸い込んでしまうパワーってでかいからです。
下を向かせ、意気消沈させ、希望を見えなくさせてしまいます。
今は本当に希望が見えない時代だと思います。
何かに突き動かされて熱い思いを持ってはじめたことがいくら頑張っても全然実を結ばなかったり、ブレイクスルーを求めて祈り続けていることが、一向に叶えられなかったり、ちやほやされてキミならできるなんて言われていたことが、まったく形になっていかなかったり。
仕事は無くて、金もない。
いつも祈っている白馬の王子様は現れる気配が無い。
自分は大丈夫って思っていたのにいとも簡単に罪の世界に真っ逆さま。
寝耳に水で、職を失い、大切な人まで失ってしまう。
あれよあれよと言う間に借金は膨れ上がる。
神様なんでって嘆きながら生きている。
そういうところを、今どれだけ多くの人が通っていることでしょうか。
光が見えない。「所詮夢物語だったんだ」と自分が最初に見た大きな「絵」を捨てて、堅実安定を求めようとしてしまう人がどれほど多いでしょうか。
たしかに闇はあります。
そしてその闇はとてつもなくでかい。
もう動けなくなりそうになるし、希望を失いそうにも、諦めて妥協しそうにもなります。
でも、やっぱり思います。
光はある。
絶対ある。
その光は闇の中をうごめいていた。闇は光に打ち勝たなかった。(ヨハネ1・5)
光がそこに起こるとき、闇は決して光に打ち勝たない。打ち勝てないんです。
私たちはやっぱり光を見つめることをやめてはいけないと思います。
どんなに闇がでかくて、
どんなに周りが否定的で、
どんなに自分の状況が最悪で、
自分の中にいいもんがなんもないって気づいても、
やっぱり私たちは、光を見つめることをやめてはいけない。
光は、闇の中をうごめいているんだから。
そして闇はその光に決して打ち勝つことが出来ないんだから。
光から目をそらせたら、一瞬で闇に吸い込まれてしまうから。
目が乾いて、しょぼしょぼして、ふっと気が抜けそうになるのをこらえて乗り越えて、とにかく光を見続けていきたいです。
「わたしは、世の光です。わたしに従うものは、
決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネ8・13)






































