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不思議な助言者......
2011年8月 8日

先週、アメリカのコロラド州から、フロリダ州までの長いドライブに友人と繰り出しました。

距離にしてほぼ3050km。止まらずに走り続けて31時間ほどの道のりです。

つくづく、話していて疲れる友達じゃなくてよかった、と思いました。
(相手も私についてそう思ってくれてるといいのですが...)

ここまで続けて一緒にいると、話題も途切れるものです。

どういったいきさつかは覚えていないのですが、気がついたら、日本のTV番組「水戸黄門」の説明をしていました。

友人はアメリカ人で、日本文化に全く触れたことのない人ですから、江戸時代の日本の政治体制から始めて、各エピソードで起こるパターンの説明を延々としました。

日本文化になじみのない人に、黄門様が一般人のなりをして、平民の間に入っていくということがどんな意味を持つのか説明するのは至難の業です。

どう説明したものかと葛藤する中で、イエス・キリストの例を挙げました。

よくよく考えてみると、イエス・キリストと水戸黄門の間には、共通点があるような気がするのです。

「御子(キリスト)は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、全て御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。」
(コロサイ1:15)

すべてのものより先に存在し、すべてのものを造られたお方が、庶民ことを気にかけ、庶民の姿をとって、庶民の間に住んでくださった。

そして、庶民の苦しみを目で見るだけでなく、一緒に体験して下さった。

「キリストは、神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、御自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。」(ピリピ2:6,7)

水戸黄門みたいだと思いませんか?

ただ、キリストは、危機の瞬間で、水戸黄門のように、印籠を取り出しません。

福音書で、キリストが逮捕されて、裁判にかけられている箇所を読むとき、私は、ついつい、「印籠をだせばいいのに」と思ってしまうのです。

水戸黄門だったら、十字架にかけられそうになった時に、助さん、角さんが出てきて、印籠を取り出し、みんなそこでひざまずいて、ハッピーエンドになります。

助さん角さんも危ない時には、風車の弥七が出てきてくれます。

「・・・キリストは人としての性質をもってあらわれ、自分を卑しくして、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。」
(ピリピ2:7
,8)

一方、キリストは、裁判にかけられた時にも、また、十字架の上でも切り札の「神様札」を出さずに、死を身に受けます。

誰かが罪の罰を受けなければいけないからです。

キリストが十字架の上でしたことは、善人も悪人も含め、すべての人の罪を背負い、その罰を一挙に引き受けたことだったのです。彼はたった一人で死にました。

私達が体験する、この世の闇、罪の汚さ、人間であることから課せられる制限、恥辱、孤独、拒絶、等々を、一人の人としてその身に受けてくれました。

でも、そこで終わりではありません。預言で伝えられていた通り、キリストは、3日後に死からよみがえりました。

つまり、死を通った後で、ついに印籠を取り出したのです。この印籠で、キリストは、神の絶対的な力と権威をこの世に表しました。

「それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をおあたえになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるものすべてが、ひざをかがめ、すべての口が『イエス・キリストは主である』と告白して、父なる神がほめたたえらるためです。」
(ピリピ2:8-11)

毎回水戸黄門のエピソードの終わりでは、黄門様が「ふぉ、ふぉ、ふぉ・・!」と笑いながら、旅を続けます。

そして、黄門様によって助けられた人々は、微笑みの内に黄門様を見送りながら、それぞれの場所で生活を続けます。

黄門様がしてくれたことを心に留め、感謝しながら、また、さらなる正義を望みながら。

TBSの水戸黄門のサイトを見たら、第43部と書いてありました。1969年から始まって全部で1205話になります。驚くべきに毎回毎回同じパターンのスト―リが繰り返されます。

でも、不思議なことに飽きません。日本人はこのストーリーラインが好きなんでしょうね。

私達の中に、「身分の高い、絶対的な権威をもった方が、私達の間に住んでくださり、私達の苦しみを理解してくださり、悪に打ち勝って、正義をもたらして下さる」ことへの強い思いがあるのではないでしょうか?

「ひとりの子が私達のために生まれる。主権はその方にあり、その名は、「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座について、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今よりとこしえまで。」
(イザヤ9:6)

その名はイエス・キリスト。


ひろこ